北田啓郎さんから教えられたこと
兄弟のように誕生したパタゴニアストア1号店とカラファテ
北田啓郎さんとパタゴニア日本支社の関わりは、今から30年以上前に遡ります。日本支社が発足したのが1988年。翌年10月に国内初の直営店「パタゴニアストア東京(現在のパタゴニア 東京・目白)」が営業を開始し、その数日後には同じビルの地階にバックカントリースキーとクライミング専門店「カラファテ」がオープンしました。
両店のオープンを実質的にプロデュースしたのは、クライミングギアを中心に登山用品の輸入販売を手がける(株)ロストアロー代表の坂下直枝さんであることは、北田さんが本ブログに寄稿された「日本支社30周年に寄せて:パタゴニアのアーリーメンバーズとともに」でも触れられています。
当時、シュイナード・イクイップメント(現、ブラックダイヤモンド)が最初のテレマークスキー製品「75mm XCDバインディング」を発売したばかりで、新しい分野の知識を得るために、輸入元の坂下さんは何度も銀座の好日山荘に通ったといいます。そこで店長を務めていたのが北田さんでした。
テレマークスキーの道具を通じて交流が深まった北田さんと坂下さんは、あるとき、これまでなかったようなコアな専門店を開こうというアイデアが生まれます。その頃、立ち上がったばかりのパタゴニア日本支社でも日本初の直営店実現に向けて動き始めていました。
現パタゴニア社主のイヴォン・シュイナードの後押しを得てクライミングギアの輸入販売を始めた坂下さんは、今なおクライマーとして、そして友人として、イヴォンと深い信頼関係で結ばれています。それだけに、2店を結びつけるには最適な人物でした。
その日から、1階ではウエアを、地階ではギアを扱うというアウトドアショップ2店による、まるで兄弟店のような関係性がスタートしました。以来、互いに「デスティネーションストア(目的地になる店)」をテーマに親しい協力関係を続けながら現在に至ります。
当時、日本支社の立ち上げに参加した3人の社員のひとりに、現在、環境・社会部門で長くミッションに取り組む篠健司がいます。
「私が入社したのは1988年の日本支社発足時ですから、まだアメリカ本社も今ほど大きくなかったと思います。その頃の日本支社はカタログ通販が中心で、横浜のマンションの一室を事務所にして、メールオーダー受付から商品のパッキングや発送まで、少ない人数でこなしていました。
直営店の開店準備は日本支社長の仕事でしたが、私も一緒に連れられて、何度か銀座の好日山荘に北田さんを訪ねたことがありました。どの段階で北田さんがカラファテを始められると知ったのかは覚えていませんが、イヴォンとロストアローの坂下さんが協力して出店を準備しているとは聞いていました。
創業当時の北田さんで思い出すのは、実は北田さんがイラストも達者だったことです。
あの頃は毎年、パタゴニアとカラファテが共同で「チープキャンプ」と名付けたセールを開いていました。店が入っていたビルの駐車場で、文字通りのガレージセールです。その告知ハガキには必ず、北田さんの手描きのイラストを載せ、それを両店からそれぞれのお客様に発送していました。
また、北田さんの結婚式に招かれたときに、引き出物に北田さん直筆のイラストが入ったプレートをいただきました。それは今でも自宅で大切に使い続けています」
テレマークスキーは自然に根ざしたクリーンな遊び
もともとオールラウンドなクライマーであり山岳スキーヤーだった北田さんがテレマークスキーに出会ったのは、ヨーロッパアルプスのオートルートで、コロラドから来たテレマークスキーの若者たちと一緒になったことだったといいます。
クライミングではヨーロッパアルプスの名峰も登っていた北田さんは、あるときから山岳スキーにシフトして、谷川岳一ノ倉沢や白馬主稜といったハードなルートを攻めつつも、次第に東北の深い森のなかを滑ることが好きになっていったそうです。
そんなタイミングで出会ったテレマークスキーは、まさに日本の里山や静かな白い森を滑るには最適な道具だったのです。
とはいえ、道具といってもまだ細いスキーに革のブーツを簡素な3ピンビンディングという、どちらかといえばクロスカントリースキーに近かった時代です。日本に入り始めてほどない頃で、国内でもわずかながら愛好者が誕生し始めていました。
そんな一人だった北田さんも、そこから一気に傾倒し、当時勤めていた銀座の老舗登山用品店「好日山荘」でもテレマークスキーの道具を扱いながら山スキーヤーを中心に薦め、また、日本テレマークスキー協会の発足に加わって普及活動に尽力。協会の一線を退いてからは、国内最大のフリーヒールイベント「てれまくり」を立ち上げて、その中心的役割を一手に担ってきました。
そんなテレマークスキーの魅力の一端について、登山誌のインタビューで、北田さんはこう語っています。
「多分にカウンターカルチャー的な意味合いがありましてね。人間中心の行き過ぎた文明のアンチテーゼというか、できるだけ自然に、動力を使わないでスキーを楽しもうという動きです。だから、リフトがないと滑ることができないアルペンスキーに対して、俺たちのテレマークスキーはもっと自然に根ざしたクリーンな遊び。そんな意識でいました。まあ、リフトには乗りましたけどね(笑)。当時、スキーブームの真っ最中にあって我々はいわばイロモノでしたけど、小さな誇りと、文化的な香りを楽しんでいたのです」(2016年 PEAKS 2月号「Because it is there…」より)
カラファテとパタゴニアは、スタッフ間の交流も盛んでした。カラファテが主催するテレマークスキーやボルダリング講習会にパタゴニアスタッフが積極的に参加したり、テレマークスキー大会「パタゴニアカップ」やボルダリングイベントを合同開催したりと、まさに共に歩んだ30数年でした。
その間、北田さんとカラファテに大きな影響を受けたスタッフも多いと語るのは、現在、パタゴニア 東京・目白のストアマネージャーを務める鈴木大介です。
「北田さんとは店の前で立ち話をする機会も多かったですが、『これからは仕事もアウトドアも若者が引っ張っていかないとね』と、40歳以上も年の離れた若いスタッフにも気さくに話しかけてくれていた姿が印象的です。
私が入った2018年から現在までの間だけでも、そんな北田さんとカラファテの影響を大きく受けたスタッフも少なくありません。
カラファテの講習会参加をきっかけにテレマークスキーを始めた20代の女性スタッフは、今、冬の間は北海道の雪山に篭もってテレマークスキーに没頭しています。
同様に、当時学生だったスタッフは、講習会を経た以降もテレマークスキーを履き続け、パタゴニアを退社した今はカラファテのナナーズ店で働きながら、クライミングとテレマークに明け暮れています。
30周年イベント、日々の業務上の会話、若いスタッフたちに向けていただいた温かな視線……。北田さんとの思い出は、そのどれもが自分のなかで豊かで貴重なコミュニケーションの源になっています」
ダートバッグなアウトドアブランドであることを忘れずに
国内屈指のクライミングエリアである小川山に近い位置に、「カラファテ川上店(カラファテ・ナナ)」があります。大型スーパー「ナナーズ川上店」の駐車場の一角に構えるこの小さな店は、もともと、パタゴニアが試験的に出店したポップアップ店でした。
販売部門を統括するナショナルセールスシニアディレクターの川上洋一郎は、このポップアップ店を通じて、北田さんから大切な言葉をいただいたと言います。
「2014年だったと思いますが、白馬店をオープンさせ、さあ次はどうしようかというときに思い至ったのは、パタゴニアの原点でもあるクライミングの店でした。
店舗開発の候補地選びも自分の職責のひとつなのですが、この10年でパタゴニア日本支社が急激な成長を遂げていたことあって、よりフィールドに根ざした店が求められていました。
そこで、クライミングの盛んな山梨県の瑞牆山と長野県の小川山を中心にリサーチを続けていく過程で、ナナーズさんを紹介され、これはおもしろい展開ができるかもしれないと思ったのです。
とはいえ、クライミング経験に乏しかった私には、まだまだ不安要素が多く、そこで北田さんに相談を持ちかけました。そのとき北田さんはこんな話をしてくれたのです。
『パタゴニアはクライミングやサーフィンを起源としたダートバッグなアウトドアブランドである。それをいつまでも忘れないでほしい』
そして、その言葉が自分の背中を押してくれました。
本来なら直営店を置きたいところですが、あの立地ゆえに商機がまるで見いだせなかったので、期間限定の試験的ポップアップストアということで本社の許可を得て1年限定でスタートし、結局、1年2ヶ月続けました。
期間を終えた後にどうするか。短い期間のポップアップ店とはいえ、あの店を支えてくれたコアなカスタマーの方々がいます。また、20フィートのコンテナ2つをL字型につなげ、デッキまで造り込んだので、これをなんとか残したいといろいろと考えたのですが、できれば、同じ感覚のディーラーさんに引き継いでもらえたらと。
そのとき頭に浮かんだのは、やはりカラファテでした。そこで、北田さんにお願いに行ったところ、ふたつ返事で了承いただけました。あまり細かいことを話す前に、北田さんは即決されたのです。
おそらく、そのときの北田さんは、あの立地でカラファテのビジネスをどう展開するかという計算は頭になかったのではないでしょうか。大事なのはクライミングコミュニティに対してどんな貢献ができるか。それさえ可能なら、やるに値する。そう北田さんは判断されたように思います」
2022年1月下旬、北田さんは長くカラファテを支えてきた社員ふたりと一緒に出かけた尾瀬でのバックカントリースキー中に、心臓発作で倒れられたと聞きます。大好きなテレマークスキーを履いたまま旅立っていった北田さんの最期は圧巻ですが、その早すぎるご逝去は残念でなりません。
住宅街に近い東京・目白の奥まった一角で、30年以上にも渡って最初の直営店が存続してこられたのも、北田さんとカラファテがあってこそと強く感じます。
「企業として成長したとしても、アウトドアブランドとしてのルーツを大切にしてほしい」という北田さんのメッセージは、私たちパタゴニア日本支社のスタッフ一人ひとりの心に大きく響く言葉です。
アウトドアブランドとしてどうあるべきか。それを身をもって教えてくれたのが北田さんでした。
時代の変遷とともに、個人経営のコアなアウトドアショップの多くがその姿を消してく中、30年以上に渡りコアな「山」のショップを経営を通じて多くのユニークなアウトドアパーソンを魅了し続け、また、クライミングやテレマークスキーのコミュニティの繁栄に尽力されてきたことに、パタゴニアは心から尊敬と敬意を表します。 そして、日本支社が成長する中、私たちパタゴニアが「何者であるのか」について考えさせられるさまざまな機会を与えて下さったことに、あらめて感謝の意をお伝え致します。